多喜二忌に想う・・・
「ああ、またこの二月の月がきた。本当にこの二月という月が嫌な月。声を一杯に泣きたい。」(小林多喜二の母の書より)
2月20日は、プロレタリア作家で共産党員でもあった小林多喜二が特高によって虐殺された日です。
「多喜二忌」は、俳句の季語にもなっています。
私は、杉並に引っ越してきてから、「中野・渋谷・杉並多喜二祭」に参加し、あらためて小樽にも一人で足運びました。
宿泊は、多喜二が勤めた運河に向かう銀行通りの「北海道拓殖銀行小樽支店」の建物がホテルになっており、その地下の部屋に。
隣の部屋は、なんと当時の金庫室!
4名~要予約で泊まれるそう!
多喜二も、この建物の階段や金庫室を行き来いていたのかと思うと、一気にロマンの世界です!←一人で盛り上がってすみません~(^_^;)
当時の小樽はロシアからの漁船が行き来し、街は「北のウォールストリート」と呼ばれるほどに活気があったと聞いています。
日銀の旧小樽支店は、今は「金融資料館」になっています。
以前、私が住んでいた阿佐谷南のアパートは、多喜二の一家が住んだ「馬橋の家」(多喜二が火鉢にあたる写真が有名です)のすぐ近くで、仲間のプロレタリア作家の若杉鳥子が住んでいた場所だったと聞いています。
それを知ったとき、当時の多喜二たちの阿佐ヶ谷での「くらし」が目に見えるようでした。
当時は命がけで活動していた共産党員の先輩たち。
それを支えた家族や市民がいました。
安倍政権による「戦争する国づくり」が進められ、憲法9条が変えられようとしている今、多喜二の文学と生き方は私たちに問いかけるでしょう。
今年も多喜二への思いを馳せつつ、3月の多喜二祭に参加する予定です。